初出
暗き旅路に迷いしを 「声」2月号、日本基督教団旭川六条教会月報、1961年2月26日
※未完。
※1961年1月、綾子は雑誌「主婦の友」が募集した「夫人の書いた実話」に応募*1。
執筆経緯とその意義
正確な時期は特定できないが、『この土の器をも』(二十一)に旭川六条教会の中嶋正昭牧師が原稿を依頼した経緯がある。中嶋牧師がアメリカ留学に留学をする五カ月ほど前なので、1960(昭和35)年10月14日頃(光世の従妹の婚礼に招待され、二人で光世の故郷、紋別郡滝上(たきのうえ)町を訪れた時期)だと推察できる。
綾子は「どなたか他の方に頼んでください」としり込みしたが、中島牧師は「あなたは必ず書ける人ですよ、いいですね」と教会の月報「声」に一年間連載するように求めた。
このとき書いた原稿は「暗き旅路に迷いしを」という題で三カ月分提出したが、好評を得たにもかかわらず、あとは書かずじまいに終わった。
が、綾子にとっては最初の原稿依頼であり、この作品をもとに「太陽は再び没せず」が書かれたことに意義がある。また、後述するが、この作品は『氷点』の北原が陽子に宛てた書簡を通して「神」について示したエピソードにつながる。
タイトルの由来
概要
綾子が婚約者の西中一郎のもとに結納金を返しに行った際に死のうとしたが死にきれなかった実話をもとに執筆された。詳細は自伝『道ありき』に詳しい。
「私」*2は、幼馴染の徹*3に婚約者次郎*4がくれた金で買った聖書をガーゼで包んでいることを指摘された際に「自殺って罪でしょうか」と問い、徹をひどく不安にさせる。私は次郎がいるS町(斜里)を訪れ、真夜中に海で自殺を図ったが死にきれなかったことに「大きものの意志」を感じ、求道を始めるところで終わる。
死のうとしたが死にきれなかった「私」は、『氷点』で北原が陽子への手紙で記した「若い女性」のことである。北原は 死のうとして海に入ったが、斜里の浜辺で気絶していたところを発見された女性が「死のうとしても死ねない時がある」ということに、「厳粛なもの」や「単に偶然といい切れない大いなるものの意志」を感じ、陽子もまたこの手紙に感銘を受ける。
本作の幼馴染の徹が、『氷点』の徹と名が同じであることは、『続氷点』で陽子が徹を選ばなかったことと共に慎重に論じていく必要があるかと思われる。
単行本化
小説 暗き旅路に迷いしを 『遺された言葉』2000年9月20日、講談社

- 作者: 三浦綾子
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文庫本
『遺された言葉』2003年11月15日、講談社文庫、講談社
電子書籍
「三浦綾子 電子全集」2013年6月14日、小学館ebooks*5

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