integral:三浦綾子資料室

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層雲峡(そううんきょう)

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 層雲峡について

 

『大辞泉』(増補・新装版)によると

そううんきょう【層雲峡】 北海道中央部、大雪山北麓にある石狩川の上流の峡谷。大函・小函と呼ばれる柱状節理の発達した景勝地や温泉がある。大雪山国立公園の一部。アイヌ語「ソ-ウン-ベッ」(滝のある川)を大正一〇年(一九二一)大町桂月が層雲峡の字を当てて紹介。

参照
層雲峡観光協会オフィシャルウェブサイト:http://www.sounkyo.net/
circled.2013.4.10


三浦夫妻の新婚旅行先

1959(昭和34)年 37歳
9月14日、秋晴れ。光世の上司(係長・笠谷尚保(かさやなおやす))の薦めで、光世の出張先の層雲峡で合流、新婚旅行。真新しいVネックの黄色いセーターに、鉄色のスカートを着用。上川までの一時間余りの間、光世のことを思って涙ぐむ。層雲峡では営林署の保養所に泊る。一泊二食付で500円程度。宿に着くと、まず光世と共に膝を正して祈った。夜、光世と共に入浴。足を洗ってもらう。*1

小説中に登場する地名

『氷点』

・啓造と夏枝は新婚旅行に出かける。見本林にある家に立ち寄ったその夜の嵐が夏枝には不吉なもののように思われる。
・陽子が高校一年生の夏、徹は北原と三人で層雲峡に行くことを提案するが、陽子は拒む。
・北原が帰った後、8月の末に徹は陽子と二人で層雲峡にアイヌの火まつりを見に行くために、友人から車を借りてくる。その時の様子は次のように描写される。「大雪山の連峰がくっきりと大きく迫ってきた。車は上川の町を過ぎ、次第に山峡の中に入って行った。巨人が大きなのみで削ったような岩壁が続く。車はようやく層雲峡についた」。

 

『積木の箱』

・「砂湯」の章で、悠二たちの乗っているスクールバスが層雲峡を走る。
・「いつしか両側の山が迫り、車は層雲峡を走っていた。山峡に入ると、朝はいま始まったかのように空気がしっとりとつめたい。朝霧が限りなく沢からわきあがり、びょうぶのような岩肌にまつわりながらのぼってゆく。そして霧は、やがて山を離れ雲になっていく」。(砂湯)
・「ホテル層雲につづいて、観光ホテルのビルが朝陽に白く光っていた。数えるほどしか旅館のない層雲峡は清潔で、悠二は好きだった」。(砂湯)
・「層雲閣の前の赤い橋を渡り、バスはやがて流星の滝にさしかかった。百数十メートルの断崖から、白い滝が噴き出すように落ちている。たしかに雄滝の名にふさわしく男性的である」。(砂湯)
・「バスは徐行しながら銀河の滝の前に出た。更に大きな歓声があがった。(略)いかにも白いベールやウエッディングドレスを思わせる、優美な滝である」。(砂湯)
・「大函・小函ののしかかるような絶壁の下は、とうに過ぎていた」。(砂湯)


エッセイに登場する地名  

『愛すること信ずること』

前述のとおり、「私たちの新婚旅行」に新婚旅行のエピソードがある。


『この土の器をも』

(七)に層雲峡での新婚旅行について記している。

『生かされてある日々』

  ○月○日
悪いことはつづくものなり。小磯良平画伯のご召天を新聞にて知る。その記事には、
〈画家としての順調な歩みは、その静かな生活態度と共に生涯を通じて変わらなかった〉
 とある。私の小説『積木の箱』が朝日新聞に連載の時、小磯先生が挿絵を描いてくださった。旭川近郊、層雲峡、網走、阿寒等々、先生ご夫妻と私たち夫婦、そして朝日新聞の門馬義久氏の五人で取材旅行したことであった。偶然五人共キリスト信者で、食事の度に祈りを共にしたことも忘れ得ず。長い汽車旅行のあと、門馬氏が言われた。
「実にお行儀のよい夫婦ですな。車内で並んだお二人の頭が、ちっとも動いていなかった」
 そのお言葉が、今日の新聞記事に重なって胸に浮かぶ。

※○月○日は、小磯良平の命日12月16日か、それ以降かは不明。

*1:『愛すること信ずること』=「私たちの新婚旅行」および、『この土の器をも』(七)にこの日のことを記している。