1967(昭和42)年 45歳
10月30日、随筆集『愛すること信ずること――夫婦の幸福のために』(講談社)刊行 ※「妻の茶の間から」を改題
1970(昭和45)年 48歳
10月30日、「題不詳」大阪市、大阪近畿キリスト教婦人ランチョンにて講演。
※この大阪での講演の際、のどを痛める。「声帯の裏に悪質な湿潤がある」との診断で、前癌状態の疑いがあるとのことだった。こののどの不調は二年ほどつづき、翌々年秋には血痰が出るほどになった。このころは筆談だった。
1984(昭和59)年 62歳
10月30日、「無題」淡路島南淡町福良保育園にて講演。
1994(平成6)年 72歳
10月30日、随筆集『この病をも賜ものとして―生かされてある日々2』(日本基督教団出版局)刊行。
1995(平成7)年 73歳
10月30日、『旧約聖書入門――光と愛を求めて』〈光文社カッパハード〉(光文社)、『新約聖書入門――心の糧を求める人へ』<光文社カッパハード>(光文社)刊行。
2014(平成26)年 「氷点」50年、三浦光世召天
10月30日(木)、三浦光世召天。午後9時46分、敗血症のため旭川の旭川リハビリテーション病院で死去した。雑誌「百万人の福音」2015年1月号には、連載されていた「マンガ塩狩峠」を月々監修し、最終回(2014年12月号)を見届けるように召天したとある。