1970(昭和45)年 48歳
5月12日、朝日新聞朝刊に『続氷点』を連載開始(~1971年5月10日)※続編を書いた理由はいくつかある。読者からの要望、父鉄治のたっての願いであったこと、決定的な理由は連載直後にある女子高生が自殺したこと。
1984(昭和59)年 62歳
5月12日、13時、ロスアンゼルス市南カリフォルニア大学ボバード記念講堂で8年前に断った懸案だった講演を行う。演題は「なくてはならないもの」。夕刻、サンフランシスコへ。*1
1988(昭和63)年 66歳
5月12日、「命への随想」北見市市民会館、北見市民大学講座にて講演。
*1:『三浦綾子作品集』(第18巻)p320では「無くてはならぬもの」、『三浦綾子全集』(第20巻)p527では「なくてはならないもの」と表記。