1912年(明治45)年4月13日
石川啄木の命日(啄木忌)
1946(昭和21)年 24歳
西中一郎との婚約
4月13日、西中一郎との婚約。西中一郎の兄が結納を持参する日だったが、貧血で倒れる。目が醒めたときには、床の間には結納の水引が飾られていた。とっさに、(この婚約は、何ものかに罰せられている!)と感じる。*1
1967(昭和42)年 45歳
4月13日付、朝日新聞インタビュー「教育の悩みを主題に」:『積木の箱』の執筆動機を丹羽文雄に「自分のよく知っている世界を書くことが第一ですよ。場所にしても。人物にしても」と忠告を受けたと答える。
*1:『石ころのうた』では4月17日になっているが、啄木忌が13日であることから、このブログでは、『道ありき』の「昭和二十一年4月、たしかその日は十三日ではなかっただろうか。啄木忌であったと記憶している。わたしの所に西中一郎から結納が届く日であった。」(一)の記述に基づき、13日と仮定する。