integral:三浦綾子資料室

作家・三浦綾子に関する研究をするブログ。※予告なしに記事の修正削除およびURLの変更を行います。

4/4:三浦光世、東京・目黒にて生まれる(1924年)、燃える流氷を目撃(1970年)

1885(明治18)年


4月4日、本居長世の誕生日。
生前、光世は本居長世作曲の「赤い靴」を好んで歌っていたという。

 

1924(大正13)年 2歳1924(大正13)年 2歳

三浦光世誕生


4月4日、三浦光世、父三浦貞治、母シゲヨの第3子として東京市目黒に生まれる。一、二軒隣に作曲家の本居長世の家があり、兄の健悦はよく出入りしていた。
※本居長世の住所は、当時の地名で記すと以下の通り。東京府下荏原郡目黒村目黒八三二番地(=目黒区下目黒4丁目20番地)、目黒不動の門前横の角の家。本居長世はここに1937(昭和12)年まで住んでいた。*1

1961(昭和36)年 39歳


4月4日、光世37歳の誕生日。
旭川市六条十丁目の旭川六条教会牧師館に留守番として入る。当時この六条教会の牧師だった中嶋正昭がアメリカに留学することになり、その後任が決定するまで二人が牧師館に入ることになったため。

 

1970(昭和45)年 48歳


4月4日(土)、朝9時、網走市に電話。流氷が戻ってきたことを知り、10時旭川発の汽車に乗り網走に14時着。※この時の体験が『続氷点』の結末に生かされた。*2

*1:本居長世の住所については、金田一春彦『十五夜お月さん―本居長世 人と作品―』(三省堂、1982年12月15日、p196-197参照)に以下の記述がある。「この家は、当時の地名でいえば東京府下荏原郡目黒村目黒八三八番地で、今の目黒区下目黒四丁目二〇番地、目黒不動の門前横のかどの家だった。長世はここに昭和十二年まで、二十年近くも住んでいた。」三浦綾子読書会のT氏が法務局から地図を取り寄せるなどして行った調査によると、現在の「目黒区下目黒四丁目二〇番地」というのは、「十五夜お月さん」に記載されている「八三八番地」ではなく「六五六番地」である。土屋によると、「目黒区下目黒四丁目二〇番地」(即ち「六五六番地」)と八三八番地を比較すると、本居長世の当時の家の見取り図から推測される家の形と「八三八番地」の土地の形、および記載されている当時の住所の方が信憑性が高いとみなし、現在の「目黒区下目黒四丁目21番地」の中に含まれている八三八番地を正当とみなすのが正しいのではないか。(2018年4月5日情報取得)

*2:『祈ってください(その二)=生きること思うこと』所収