2000(平成12)年
2月4日、午前2時28分、門馬義久、肺炎のため83歳で死去。門馬義久は、朝日新聞社学芸部の記者であると同時に鎌倉山教会の牧師*1
であった。1964年6月24日、綾子が『氷点』で二次選考に残った際に三浦家を訪問。))
*1:
(( 『ひかりと愛といのち』所収「中山義秀先生の受洗」参照。門馬義久は鎌倉山教会の牧師も務めた。中山義秀が洗礼を受けた時のエピソードは、山田風太郎著『人間臨終図巻』Ⅱ(徳間書店、1996年11月30日刊)p266にある。なお、同著では門馬が「毎日新聞学芸部の記者」とあるが誤記。