1963(昭和38)年 41歳
1月1日、朝日新聞社が、大阪本社の創刊八十五年、東京本社の七十五年記念の一千万円懸賞小説を募集する。
――新年の挨拶をし、僅かなお年玉を進呈した後だった。母が思いついたように、
「あ、そうそう、秀夫がね、綾ちゃんが来たら、ここを見せなさいと言っていたよ」
と、折りたたんだ朝日新聞をわたしに示した。見ると、朝日新聞の社告だった。
一千万円懸賞小説募集の記事がそこにはあった。
「へえー、一千万円とは凄いわね」
秀夫は、わたしに見せよと言づてたのか。まさかわたしに応募せよということではあるまい。応募資格を見ると、既成の作家も応募できることになっている。わたしには無縁な話だと、思わず笑った。
(中略)いつも一時間や二時間、眠れぬままに一人想像をめぐらすわたしは、その夜もまたそうだった。わたしはふと、療養中に遠縁の者が殺された事件を思い出した。
「もし、自分の肉親が殺されたら?」そう思ったとたん、わたしはこれだと思った。ここから一つの物語が生まれそうだった。
(中略)わたしは社告のことも何も忘れて、その夜長編小説の粗筋を作った。(『この土の器をも』)
1988(昭和63)年 66歳
1月1日、随筆『私の赤い手帖から』(小学館)刊行*1
同日、小学館文庫『藍色の便箋』刊行。
1998(平成10)年 76歳
1月1日、小学館文庫『銃口』刊行。
1999(平成11)年 77歳
1月1日、小学館文庫『われ弱ければ――矢嶋楫子伝』(解説・久保田暁一)刊行。
2000(平成12)年
1月1日、小学館文庫『忘れえぬ言葉――私の赤い手帖から』刊行。
2001(平成13)年
1月1日、『三浦綾子小説選集2 続氷点』(主婦の友社)刊行[第2回配本]。
*1:「マミイ」(小学館)に連載(1983年10月号~1987年11月号)の随筆『私の心をとらえた言葉』を改題。