integral:三浦綾子資料室

作家・三浦綾子に関する研究をするブログ。※予告なしに記事の修正削除およびURLの変更を行います。

藤原栄吉

実在した人物。旭川六条教会教会員。
『塩狩峠』の主人公、永野信夫のモデルとなった実在の人物・長野政雄の部下。

手元の新潮文庫版『塩狩峠』「あとがき」には、長野政雄死後「感動のあまり、七十円の貯金を全部日曜学校に捧げた」ことと、綾子の取材に協力したこと、「補遺」には 「旭川六条教会六十五年史」(1966年発行)に寄稿していることを紹介されている。

『忘れてならぬもの』所収「塩狩峠」連載の頃(初出:「信徒の友」1989年4月号、日本基督教団出版局)では次のように語られる。

氏は既に八十を超えておられたが、実に元気な方だった。分団の話し合いの時にも、大きな声で雄弁に意見を述べられたのが印象的であった。(中略)
 私は川谷先生に伴われて、三浦共々藤原さんのお宅に出かけた。藤原さんは、鉄道病院の医師として転任して来られた息子さんご一家と、共に暮らしておられたのである。
 藤原さんは固い表情で私たちを迎えられた。私の発言が藤原さんには何の関係もないことだと、いくら説明してもなかなかわかってくださらなかった。そんな一徹なところが藤原さんにはあった。が、それでも言葉を尽くすうちに、ようやく機嫌を直されて、今書いているという原稿を見せてくださった。その中に、長野政雄さんの塩狩峠における最期が書かれてあったのである。比較的短い枚数のもので、わたしはその場で読み、そして深く感動した。旭川六条教会に移って、四、五年しか経たぬ私は、まだ誰からも長野さんの話は聞かされていなかった。
 (こんなすばらしい信仰の先輩が、私たちの教会にいられたのか!)
 頭を殴られたような感じだった。

 後に「信徒の友」編集長の佐古純一郎と編集主任の原田洋一牧師が訪れ、原稿依頼をされた際にこの時の話を思い出し、改めて藤原栄吉に取材を申し込み、快諾される。

 尚、藤原さんは、モデルの長野政雄氏の部下で、まことに熱心な信者であった。私の心に、清い流れを注ぐような挿絵を描いてくれた中西清治さんも、同じ教会のクリスチャンだった。

「旭川だより」の「積極的に生きよう」(『三浦綾子全集 第十五巻』『丘の上の邂逅』)には、90歳を超えて『モーセの足跡を訪ねて』という六百枚の原稿を書き上げたことや、90歳の頃まで、自宅の前だけでなく、近所の家の前や教会の除雪をしていたこと、長野政雄の殉職顕彰碑の設立に力を注いだことや、未知の客を積極的に迎える態度が紹介されている。