integral:三浦綾子資料室

作家・三浦綾子に関する研究をするブログ。※予告なしに記事の修正削除およびURLの変更を行います。

積木の箱:いつもの靴磨き

悠二が時々立ちよる靴磨き。三十代の男の靴磨きによると、「毎年この書き入れ時を目指して休む」。氏名不明。

悠二に「あんたも学校の先生なら、靴ぐらい自分で磨くもんだ」といい、忠告を素直に聞いた悠二に「あんたはまたなんて素直な先生なんだ」と驚きつつも、自身が昔「小学校の教師」であったことを「いままでだれにもこのことはしゃべったことはない。実はねえ、おれは戦時中、小学校で高等科を受持っていたんだ。昭和十八年、十九年と、戦争が苛烈になっていく一方の時だった。おれは生徒たちに軍靴を教え、軍人勅諭を教え、日本人の幸福はこの戦争に参加して死ぬことだと教えた」と言い、教室に張られていた少年航空兵の募集ポスターを用いて「君たちも国のために大空へ羽ばたいてゆけと叫んだ」と語り、少年航空兵になった五人中三人の生徒が死んだことを「おれが殺したんだ」と悔いて靴磨きになったと告白する。

(1)「五十近い」「陽にやけた黒い腕」

(2)「あいさつ以外は、ほとんど口をきかない男だが、心をこめた仕事をする」「無口だが、仕事に心がこもっている」

(3)「おれのクラスから五人の生徒が、少年航空兵になって行った。そして戦争は終り、遂に三人の生徒は永遠に帰って来なかった。おれが殺したんだ。おれが行けと言ったんだ。おれさえ行くなと言ったら、あの生徒たちは十六や十七で死ななくてもよかったんだ。その時おれは、教師というしょうばいが、つくづく罪ふかいと思ったよ。純真な生徒たちの心を動かして、それを死に追いやることさえ、教師というものはできるんだ。時代こそちがえ、あんた、教師というのはそういう恐ろしいしょうばいなんだよ。おれはそれから、すぐに学校をやめた。そして靴磨きになった。靴磨きのいうことを聞いて死のうと思う人間はないだけ、ずっとこのしょうばいの方がいいと思った。死んだ生徒たちが、先生、おれは死にたくなかったんだと、今も叫んでいるようで、おれはいまだに結婚もしていない」(木洩れ陽)