integral:三浦綾子資料室

作家・三浦綾子に関する研究をするブログ。※予告なしに記事の修正削除およびURLの変更を行います。

新橋演舞場

実在する演舞場。

新橋演舞場の新築開場は大正14年4月のことで、京都や大阪には立派な演舞場や歌舞練場があるのに、東京にないというのは残念だという川村徳太郎(芸者屋屋号森川家)の発案で、五業組合の協賛のもとに資本金200万円の新橋演舞場株式会社を設立したのが起源。当時の東京市京橋区木挽町10丁目14番地(のちの6丁目9番地、そして現在の中央区銀座6丁目18番2号)に建てられた。

昭和15年新橋演舞場は松竹株式会社と興行契約を結び、松竹が興行面を受け持って松竹傘下の主要劇場となる。第二次世界大戦では空襲のため、外周りを残して焼失。昭和23年に復興されたが、舞台機構や諸設備が新しい時代の要請や消防法などにこたえられなくなったため、昭和57年に日産自動車本社ビルと複合した現在の演舞場となる。

参照:
新橋演舞場について:http://www.shochiku.co.jp/play/enbujyo/about/history.php
circled.2013/1/21

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『続氷点』:
陽子は、夏枝、辰子、由香子らと旅行に行き、辰子の提唱で歌舞伎を見に行く。旅の第一夜は、歌舞伎座と新橋演舞場のすぐそばにある東銀ホテルに泊まり、啓造に手紙を書く。