※稚内市役所 建設産業部 観光交流課の「九人の乙女の碑」によると、以下の通り。
※一部、引用者により、編集。
http://www.city.wakkanai.hokkaido.jp/kanko/midokoro/spot/9ninotomenohi.html
circled2012.12.19
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昭和20年(1945年)8月20日、終戦5日後に、樺太真岡郵便局で電話交換業務を終えた後、自ら若い命を絶った9人の女性の霊を慰めるために建てられました。
碑文
戦いは終わった。それから5日、昭和20年8月20日ソ連軍が樺太真岡上陸を開始しようとした。その時突如、日本軍との間に戦いが始まった。戦火と化した真岡の町、その中で交換台に向かった九人の乙女等は、死を以って己の職場を守った。
窓越しに見る砲弾のさく裂、刻々迫る身の危険、いまはこれまでと死の交換台に向かい『みなさん、これが最後です。さようなら、さようなら……』の言葉を残して静かに青酸カリをのみ、夢多き若き尊き花の命を絶ち職に殉じた。戦争は再びくりかえすまじ。平和の祈りをこめて尊き九人の霊を慰む
殉職した九人の乙女の氏名と年齢。
高石ミキ(24)
可香谷シゲ(23)
吉田八重子(21)
志賀晴代(22)
渡辺照(17)
高城淑子(19)
松橋みどり(17)
伊藤千枝(22)
沢田キミ(18)
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『続氷点』:稚内を訪れた啓造と高木が立ち寄り、啓造は「松崎みどり」の名に、由香子とゆかりの者ではないかと「なぜか無縁の人と思われなかった」。(サロベツ原野)
二人は電話交換手のレリーフのそばによった。三枚の四角い切石が屏風のように並べられ、右側にレリーフ、左側に九人の乙女の名前、そして真ん中に、悲痛な言葉が刻まれている。
「みなさん、これが最後です。さようなら、さようなら」
それは、昭和二十年八月、ソ連軍の砲火に囲まれた真岡で、最後まで職場を死守した、交換手たちの最後の言葉だった。この言葉を最後に、彼女たちは青酸カリを飲んで果てたのだ。
「……戦争は再び繰り返すまじ。平和の祈りをこめて、尊き九人の乙女の霊を慰む」(サロベツ原野)