integral:三浦綾子資料室

作家・三浦綾子に関する研究をするブログ。※予告なしに記事の修正削除およびURLの変更を行います。

迷える子羊(ストレイシープ)

イザヤ書53章6節、「エレミア書」第50章6節など。

「ルカ福音書」第15章4節~百匹の羊のうち、その一匹がいなくなったら? の例え。
「マタイ福音書」第18章12節~「迷える子羊」の例え。

『漱石全集 第五巻』(岩波書店、一九九四年、四月)所収、『三四郎』五の九終り、p417で、三四郎に美禰子が「迷子の英訳を知つて入らしつて」「教えてあげませうか」「迷える子(原文ルビ:ストレイ、シープ)――解つて?」とあるほか、十二の七p604で、美禰子が三四郎にハンカチを突き付ける場面で「ヘリオトロープの壜。四丁目の夕暮。迷羊(原文ルビ:ストレイシープ)。迷羊(原文ルビ:ストレイシープ)。」十三、すなわち『三四郎』最後一行、「三四郎は何とも答へなかつた。たヾ口の内で迷羊(原文ルビ:ストレイシープ)、迷羊(原文ルビ:ストレイシープ)と繰り返した。」とある。また、紅野謙介・吉田凞生二氏の注解(p668)によると、

 迷える子(原文ルビ:ストレイ、シープ) stray sheep 迷える羊、の意。旧約聖書では神ヤハウェから離反し、堕落したために流浪・離散などの結果を招き、拠り所をなくしたイスラエル民族の比喩として用いられる(イザヤ書五十三章六節、エレミヤ書五十章六節など)。また新約聖書ではマタイ伝第十八章、ルカ伝第十五章に記されている、良き牧者(キリスト)は九十九匹の羊を残しても迷った一匹の羊を探して救うというキリストの語った例話がよく知られている。ただしstray sheepという熟語として用いられた例は英訳聖書にはなく、O.E.D.によれば、イギリスの小説家H・フィールディングの『トム・ジョーンズ』(一七四九年、漱石蔵書目録にある)の用例が最も古い。その他『訓点 新約全書』(一八六一年刊行の漢訳『新約全書』に句点を付したもの。一八七九―九八年)には、ペテロ前書の第二章二十五節に「迷羊」の語が見え、内田魯庵の『社会百面相』(明治三十五年)にも「迷へる羊」の語がある。

---------------------------------------------------

『ひつじが丘』:
羊が丘で沢山の羊を見ていた奈緒実が、竹山に「先生。漱石の『三四郎』をお読みになって?」と問いかけ、「あの中に、迷える小羊という言葉がでてきますわね」「ああ、美禰子がいくどか三四郎の前でつぶやいた言葉ですね」「ええ、そうですわ。今こうしてひつじが丘に来て、沢山の羊を見ていますと、ストレイシープということばが思い出されてなりませんの」という。