integral:三浦綾子資料室

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Tという青年/広沢/広井耕三

道ありきなど:Tという青年

三浦綾子が結婚の約束をしていた青年。当時西中一郎とも婚約しており、昭和21年4月13日に結納が届く予定だったので、二重婚約ということになる。
『愛すること生きること』(のち『なくてならぬもの』)では、「グライダーの主任をやっていた広沢という人」と紹介される。


『生命に刻まれし愛のかたみ』には、次のような記述がある。

 昭和二十三年といえば、まだ敗戦後三年しか経ってはいない。小学校教師だったわたしは、敗戦によって虚無的になり退職した。ひどい虚無の中で、二人の男性とほとんど同時に婚約し、その一人広井耕三は二十二年に死んだ。他の一人は西中一郎という青年であった。(新潮文庫版、p14)

岡野裕行『日本の作家100人 三浦綾子――人と文学』(2005年11月10日、勉誠出版)には次のような記述がある。

 

 堀田綾子が婚約をした二人の相手は、遠い親戚にあたる西中一郎、そして戦時中にグライダーの教官をしていた広井耕三という人物である。同年齢である西中一郎とは、一九四二年の夏に札幌に住む母方の叔母の家で、広井耕三とは、一九四四年の夏に旭川郊外の飛行場で知り合った。広井耕三は堀田綾子と出会った当時、二十七、八歳の男性であり、堀田綾子はこのとき二十二歳であるからやや年上の人物であった。敗戦後、堀田綾子は二人からほぼ同時期に婚約の申し込みを受け、どちらにも応諾してしまう。広井耕三は婚約をした後、2年後に迎えに来る約束でいったん実家のある栃木に帰っていった。いつからなのかを知る資料が遺されていないが、広井耕三は肺を病んでおり、その療養のために実家に戻ったようであった。(p96)

 

(1)風貌
(2)性格
(3)その人物が作中で実際に口にする言葉で意味深いものを紹介

※にて作成者がその人物評をまとめた。作中に描写のない場合は「不明」とした。