integral:三浦綾子資料室

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辻口医院/辻口病院

『氷点』では、以下のように描写される。 

啓造の父が初代医院長。元あった場所は不明。昭和五年に現在の場所に移転。「外科に内科、眼科、耳鼻科を併設して新しい病院経営に踏み切った」

「エの字型」に建っていて、「二メートルほどの高さのガッシリとした御影石の門柱に、交番の看板のように大きな板が、〈辻口医院〉と、あせた墨の色を見せてさがって」おり、「美しいいちいの生垣をめぐらせていた」。病院というより「博物館」という感じがするのは、「太いエルムや、根本から三つに分かれた丈高い桂の木」「ナナカマド」があり、「広々とした芝生」があるからだった。作品の冒頭、昭和21年の時点では、戦争のため、その芝生は「あちらこちら掘り起こされていも畑」になっていた。

高木は「辻口のオヤジは、患者に不親切な建て方をしたもんだな。やれ、うれしや、やっと病院の門までたどりついたら、なーんだ、玄関までまだ一里もあるというわけだ。病人なんて、歩くのは一歩でも少ないほうがありがたいんだぜ」と言う。

陽子が小学校1年生の頃には「内科、外科、耳鼻科だけでも十分にやって行くことができた」ので、一部の反対があったが、事務長が村井の成績を覚えていたことや、内科医が賛成し「高血圧、糖尿病、バセドー氏病などは、眼科医の協力が必要であった」ことから、啓造は再び村井を辻口医院に迎え入れる。

『続氷点』では、以下のように記される。

 辻口病院は、内科、外科、耳鼻咽喉科、眼科、結核病棟と、百七十床からのベッドがあった。そして、ほとんどいつも満床だった。父の代からの結核病棟の五十床だけが、この数年、半分にも満たなかった。(略)啓造は今日、事務長から救急科の特設を進言されたのだ。交通事故の多い時世である。患者の少なくなった結核病棟を改築して、救急病棟にあててもよい、と思った時、(後略)(黒い雪)