integral:三浦綾子資料室

作家・三浦綾子に関する研究をするブログ。※予告なしに記事の修正削除およびURLの変更を行います。

西村久蔵

 綾子の求道生活中に及ぼした影響は大きさは『道ありき』に詳しい。
 小説『愛の鬼才』の主人公。

 明治31年(1898)年5月10日、北海道(小樽)に生まれる。
 小樽の高商(今の小樽商業大学)を卒業後、札幌商業学校の教師をする。 牧師になりたかったのだが、小野村林蔵が経済状況を察し、思いとどまらせた。教師時代に、教え子が危篤状態になり、病室を見舞った際に「おれは毎日、あの生徒に英語を教えてきた。しかし、その子にとって最も大事な、生きる力を何ひとつ教えていなかった。いまあの子が、一番必要なものをおれは与えることはできないのだ)と思い泣く。その生徒の死後、毎朝始業一時間、生徒の有志に聖書の講義を行う。この中に菅原豊がいた。
 家庭の事情で、教師をやめ、菓子屋を開業。利潤の三分の一は人のために、三分の一は運転資金に、残り三分の一を生活費に充てた。
 昭和27年(1952)年3月、札幌医大で療養中の三浦綾子を見舞う。札幌北一条教会に所属し、長老を務める。札幌駅前に「洋生の店ニシムラ」を経営、他に製パン会社や食堂も経営する実業家であった。西村食品工業株式会社の創業者。昭和28(1953)年7月12日没。

『ひつじが丘』:「ニシムラは戦前から洋生で名高い店で、喫茶と食事の部も経営している。奈緒実の父は、この店の主人西村久蔵と親交があった。西村久蔵は賀川豊彦と共に、引揚者のために江別にキリスト村を拓いたり、信者や牧師のためにその生涯をささげてきた大樹のようなクリスチャンであった。だから、奈緒実もこの店には時々きていた」。耕介と愛子の人物造形に際し、西村久蔵ご夫妻の影響があることは、三浦自身が『道ありき』の中で、「西村先生を、どのように説明したら、人はわかってくださるだろう。わたしの小説「ひつじが丘」をもし読んでくださった方なら、小説の主人公奈緒実の両親を思い出していただきたい。あの牧師夫妻が、西村先生ご夫妻の一端を語っていることと思う」と述べていることから推察できる。

「特別にかわいがられましてね」(『忘れてならぬもの』所収、初出:全国連合長老会「宣教」238号、1973年)では、「この方(=西村久蔵)ほど「先生」と呼ぶにふさわしい人格はないような気がする」として、西村久蔵のことを紹介している。

「旭川だより」(『三浦綾子全集 第十五巻』『丘の上の邂逅』所収)には、「わたしをキリストに導いてくださった恩師西村久蔵先生のお宅も、よく家庭を開放された。青年たちは、先生のお宅で出るお菓子と、先生のお話が楽しみで、先生の家によく集まった」とある。

国立国会図書館レファレンス協同データベースに次の質問と回答がある。
http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000128922
circled.2013.9.6