integral:三浦綾子資料室

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前川正(まえかわただし)

道ありきなど前川正(まえかわただし):
実在の人物。綾子の幼馴染かつ恋人。綾子を信仰に導く。短歌を詠む(アララギ派)。1920(大正9)年6月30日~1954(昭和29)年5月2日午前1時14分。
綾子との往復書簡は『生命に刻まれし愛のかたみ』で読むことができる。

●前川正略年譜
1920(大正9)年6月30日、前川友吉、秀子の長男として生まれる。

1929(昭和4)年、綾子が8歳の春に隣家にクリスチャンの前川家が引っ越してきたことから知り合う。同じ大成小学校の二年上で、知り合った当初正は4年生。翌年3月前川一家は引っ越してしまう。

小学校、中学校を通じて優秀賞を受けた秀才。
1938年北海道帝国大学予科医類に入学。
1941年、北海道帝国大学医学部学生となる。
1942年3月、胸部疾患にかかり、帰宅療養を行う。
1946年、「羊蹄」「アララギ」入会。全快の診断が下り復学する。
1946年12月末、再発。
1948年12月27日、堀田綾子と再会し、翌日より千通を超える書簡をやりとりする。
1949年佐野孝雄らと「旭川アララギ月報」を発行。気鋭の歌人を擁してユニークな編集を続ける。
1952年12月17日、札幌医大病院で第1回目の手術を受け、肋骨を4本切除。
1953年1月、第2回目の手術を受け、さらに肋骨を4本切除。
1953年3月、退院。
1954年1月、喀血。
1954年5月2日、午前1時14分昇天。享年33(数え年で35)
※『道ありき』(四三)には「クリスチャンの倫理に生きて童貞のままに逝きたり三十五歳なりき」「しかしわたしは、三十五歳で死ななければならなかった前川正」35歳とあるが、このとき綾子が32歳、2歳年上の正は6月30日が誕生日なので33歳で死去したのが正しい。記述は数え年で書いたと思われる。※現在最新の略年譜は『国を愛する心』(2016年、小学館刊)に所収されたものだがこちらも35歳と記述ありだが、数えなら正、満年齢なら33となる。

(1)『草のうた』によると、「やや小生意気に見える長男正」とある。三浦は正の「黒いコールテンの服の胸に、赤い徽章がついていた」と、級長の印に着目して、母に注進する(大成小学校では赤い徽章が級長、緑が副級長の印であった)。

(2)

(3)「綾ちゃんが生きるためになら、自分の命もいらないと思ったほどでした。けれども信仰のうすいぼくには、あなたを救う力のないことを思い知らされたのです」(『道ありき』)

その他:
『生きるということ』で綾子は、春光台で自らの足を打ちつけた前川正について新島襄のようだったと語っている。

氷点:前川正(まえかわただし):
啓造の3期後輩。テニス部の頭のよい医学生。