integral:三浦綾子資料室

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2014年11月3日(月)午前9時より、三浦光世の葬送式が行われる。於:やわらぎ斎場旭川

 周知の通り、本日11月3日(月)、午前9時から旭川市5条15丁目のやわらぎ斎場旭川で三浦光世の葬儀が執り行われた。三浦綾子記念文学館オフィシャルサイトによると、公益財団法人三浦綾子記念文化財団ならびに三浦家の合同葬であり、喪主はおいの三浦紀一郎。

 三浦綾子読書会フェイスブックによると、やわらぎ斎場旭川で行われた葬送式の参列者は約四百人弱、司会は難波真実、司式(説教)は旭川六条教会の西岡牧師。聖書個所はヨハネの福音書14章冒頭部(1節~3節) 「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。 わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。 行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。 」(※光世が綾子を初めて見舞ったときに語った箇所)、弔辞:旭川六条教会の三浦美喜子、三浦綾子記念文化財団副理事長の菅野浩(「珍番舌切雀」初演時の舞台監督)、弔電披露:知事などのほか星野富弘の名前があったという。葬儀委員長(三浦綾子記念文学館の山田理事長)の挨拶の後、横殴りの雨雪混じりの中で出棺。参列者全員で光世を見送った。

※三浦美喜子については、1991(平成3)年12月?日、旭川六条教会会員の三浦美喜子宅のクリスマスに参加した時に2階から階段を降りてトイレに行くが、立ちあがれず、美喜子に介助されたエピソードがあるが、同一人物かどうかは不明。

※三浦光世『妻と共に生きる』には、1955(昭和30)年6月18日(土)、三浦光世の訪問を初めて受けた時の綾子の様子について次のように記されている。この時の出来事については、『道ありき』にも詳しい記述がある。



一九五五年六月十八日――この日がのちに、生涯忘れ得ぬ記念の日になろうとは夢にも思わず、一枚の葉書を背広のポケットに、私は勤務先の旭川営林所を出て、堀田綾子の家を訪ねていった。
 さわやかに晴れた土曜日の午後であった。当時私は、営林署の経理事務を担当し、週日は八時九時まで、みんなが正午に帰る土曜日は五時頃まで残業をするのが常であった。その日六月十八日は、珍しく早目に仕事を切り上げたのであったろうか。
 ポケットの葉書は、札幌の菅原豊という方からの葉書で、「どうか堀田綾子さんを見舞ってあげて下さい」と書かれてあった。菅原氏は既に故人となられたが。結核療養の傍ら、月々「いちじく」という謄写版刷りの冊子を発行しておられた。日本各地から寄せられる結核患者、牧師、死刑囚等のキリスト者の手紙、詩文等を編集、自らガリ切りをして配布しておられたのである。「いちじく」誌はいわば結核療養者やその体験者を主とした信仰の交流誌ともいえた。
 「いちじく」誌を私に紹介してくれたのは、死刑囚S君であった。何かのことからS君と文通しているうちに、こんなグループがあるので入ってみてはと勧められたのである。同誌に旭川から手紙を寄せていたのは、当時堀田綾子と私だけであったと記憶する。ある時彼女の文章に注目させられ、
「同じ旭川におりながら、どこにおられるかわからぬ堀田様、どうかお大事に」
 という便りを菅原氏に出した。菅原氏は光世という名の私を女性と思っていたらしく、女性は女性同士で励まし合うとよいであろうと、私に葉書を下さったわけである。
(中略)
私は、隣室の六畳間に案内された。そこが堀田綾子の病室であった。カラフルな装飾の何もない質素な部屋であった。クレゾールの匂いがまず鼻をついたことを、今でも覚えている。六畳間の片側を占めて、木製のベッドがあり、その上に彼女は身を横たえていた。掛布団を胸まで掛けていたが、ギプスベッドが肩と首、そして頭の半分を覆っていた。その丸顔は痩せ衰えているふうにも見えなかった。が、むくみを帯びているようで青黒く、どこか不自然に見えた。澄んだ大きな瞳が美しく印象的であった。
 ベッドの傍らに置かれてある椅子に腰をおろし、あの日私はどのくらい話をしたことだろう。肺結核を発病してすでに九年、更に脊椎カリエスを併発して三年、今は寝返り一つ打てないというのに、
「寝ているだけの病気です」
 と、彼女は淡々として告げた。その声も澄んでいて、弱々しい響きはなかった。それにしても大変な日々であると思った。只の一夜でも寝返りを禁じられたと仮定してみたらわかる。私は自分の体験を語って、希望を失わぬように励ましたものの、いささか言葉が空を打つような心地だった。彼女はストレプトマイシンも副作用ですぐ中止したという。
 やがて、好きな聖書の箇所を読んで欲しいと言われて、私はヨハネによる福音書第十四章の中の次の言葉を読んだ。
〈あなたがたは、心を騒がせないがよい。神を信じ、またわたしを信じなさい。わたしの父の家には、すまいがたくさんある。もしなかったならば、わたしはそう言っておいたであろう。あなたがたのために、場所を用意しに行くのだから。そして、行って、場所の用意が出来たならば、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう〉

情報元:
三浦綾子記念文学館オフィシャルサイト内「三浦光世館長 逝去 [ 前夜式:2日 葬送式:3日 ] 」
http://www.hyouten.com/oshirase/6285.html


三浦綾子読書会フェイスブック
https://www.facebook.com/pages/%E4%B8%89%E6%B5%A6%E7%B6%BE%E5%AD%90%E8%AA%AD%E6%9B%B8%E4%BC%9A/296384877097509

HP「ソンシアの家」BBS、2014年10月31日
http://www3.ezbbs.net/10/songxia/

【追記】
NHK NEWS WEB(北海道のニュース 札幌放送局)
三浦光世さんの葬送式」(11月03日 19時15分)にて1分31秒の動画が閲覧可能。
http://www3.nhk.or.jp/lnews/sapporo/7005867311.html?t=1415023434239
※この報道では参列者はおよそ300人となっている。

三浦光世さん葬送式に300人:朝日新聞デジタル、2014年11月4日10時43分
http://www.asahi.com/articles/CMTW1411040100009.html

三浦綾子さん夫、光世さん死去:朝日新聞デジタル、2014年11月4日10時12分http://www.asahi.com/articles/CMTW1411040100007.html