integral:三浦綾子資料室

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馬鈴薯/ゴショイモ

ジャガイモの別名。北海道の特産物。

岡田哲編『日本の味探求事典』(東京堂出版、1996.1)によると以下の通り記されている。

ばれいしょ 馬鈴薯(全国) ジャガイモ・ジャガタライモ・オランダイモ・南京薯・五升薯・八升薯ともいう。ナス科に属する多年生草本で、原産地は南アメリカである。チリー・ペルー・アンデス山脈の高原地帯に自生していたともいう。一六世紀に、スペイン人がヨーロッパに持ち帰る。ヨーロッパに伝えたのは、イギリス人という説もある。ドイツ人の嗜好に適合し、ジャガイモ料理が盛んになる。日本へは、安土桃山期の慶長三年(一五六六)にジャワのジャガタラ(バタビア)から、オランダ人が長崎に伝え、ジャガタライモと呼ばれる。天正年間(一五七三~九一)に伝えられたという説もある。初めは観賞用・飼料用であり、後に救荒食として利用されるが、サツマイモのような甘みもなく淡白な味で、日本料理とは良く合わないために、渡来当初は余り関心がもたれていない。さらに、肉食では、アルカリ性食品が必要であるが、和食では、そのような要求に乏しく、南の九州で、サツマイモの栽培が先に始められる。サツマイモが伝えられたのは、江戸前期の寛永年間(一六二四~四三)のことである。英語でそれぞれに、potato,sweet potatoという。馬鈴薯の名の由来は、江戸中期の漢学者の小野蘭山が、中国の馬鈴薯(別物)をジャガイモと誤認したもので、そのまま今日まで通用している。しかし、①北海道のような寒冷地で栽培できる。②長期間貯蔵が可能である。③洋風料理が増えるとともに注目されてくる。④男爵薯と紅丸が、代表的な品種になるなどの理由で次第に定着してくる。馬鈴薯の調理には、いくつかの注意点がある。①切り口を空気に晒しておくと、褐変してくる。アミノ酸の一種であるチロシンに、酸化酵素のチロシナーゼが働き、メラニンに変化するからである。ビタミンCの液につけておくと褐変は起こらない。リンゴが褐変するのも同じ現象である。②イモコロッケを作るときには、蒸した馬鈴薯は澱粉が粘りやすいので、熱いうちに、さっと練り込んでいく。冷えるとペクチンが固まり固くなる。③逆に、長時間加熱すると、ペクチンが柔らかくなり崩れやすい。そのために、茹でるときには、水から入れ、短時間で茹でるようにする。④発芽すると、芽にはソラニンという毒素が含まれるので、よく取り除いてから調理する。(p274~5)

ばれいしょ 馬鈴薯(北海道) 北海道のような寒冷地で栽培でき、長期貯蔵が可能なために、次第に注目されるようになる。そして、明治になると、「今日もコロッケ、明日もコロッケ」と、庶民に親しまれる。江戸中期の文化年間(一八〇四~一八)に、南部藩が北海道に移植を試み、さらに、明治七年(一八七四)に、北海道開拓史によりアメリカの種芋が栽培される。男爵イモは、川田竜吉男爵が明治四〇年(一九〇七)に、アイルランドの種芋・アイリッシュコブラーを輸入して函館に運び、品種改良をしたものである。白い花が咲き、表皮は黄色い。大粒で収穫量が多く淡白な味である。メイクインは、長円形で甘味があり煮崩れしにくい。紅丸は、紫色の花が咲き表皮が赤い。連作ができないので、三年置きの輪作である。十勝・網走・上川地方で栽培が盛んである。形が自由に変えられ淡白な味なので、調理形態は多岐にわたり、いろいろな調理・料理に向く、万能型の澱粉系食材である。蒸したジャガイモにバターを塗ったり、サケと炒めたりする素朴な料理は、北海道を身近かに感じさせてくれる。(p275~6)

『氷点』:
・「誘拐」の章のはじめで、次子が馬鈴薯のうらごしをしていた手をとめて、ルリ子の帰りが遅いことを不審がる。
・戦時中、辻口医院の庭は「ばれいしょ畑」になった。
・「徹の小さいころはあたりはまだ広々とした馬鈴薯畑だったような気がする」が、大学2回生になった徹が窓から外を眺めると、見本林のそばまで家々が建っている。

『積木の箱』:
・久代は馬鈴薯のカラ揚げを悠二にご馳走する。(夕風)
・悠二は「ぼくはこのゴショイモのカラ揚げが大好物なんです」と語る。(夕風)